マノ(Manō)とは?ハワイでサメがʻAumakuaとして大切にされてきた理由

ハワイの海には、昔からサメがいます。

ハワイ語でサメは、

Manō(マノ)。

ハワイ語辞書でも、Manōは**「shark(サメ)の総称」**として記録されています。

サメと聞くと、

「怖い」

「危険」

「人を襲う」

そんなイメージを持つ人も多いと思います。

でもハワイ文化を調べていくと、Manōはそれだけではありません。

ある家族にとっては、

ʻAumakua(アウマクア)——祖先と結びついた守護的な存在

として大切にされてきました。

一方で、すべてのサメが神聖視され、絶対に捕ってはいけなかったわけでもありません。

食べるサメもいた。

恐れられるサメもいた。

家族のʻAumakuaとして守られるサメもいた。

ハワイにおけるManōは、

「守り神」という一言だけでは説明できない存在なのです。


Manō(マノ)とは?

Manōはハワイ語で、サメを表す一般的な言葉です。

ハワイ語辞書には、

Manō iʻa
一般的なサメ。

Manō hae
獰猛なサメ。

Manō kanaka
人間とサメが結びついた伝承上の存在。

など、Manōを含むさまざまな言葉が記録されています。

つまり昔のハワイの人々にとっても、

「サメは全部同じ」

ではありませんでした。

種類だけでなく、そのサメがどのような存在なのかによっても、見方が違っていたのです。


ManōはʻAumakuaなの?

Manōについて最もよく知られている文化的な背景が、

ʻAumakuaとの関係です。

ʻAumakuaとは、家族や個人と結びついた神格化された祖先などを指す言葉です。

ハワイ語辞書には、ʻAumakuaがサメ、フクロウ、タコ、ウナギ、ネズミ、犬、植物、岩など、さまざまな姿をとると記録されています。

つまり、

サメそのもの=ʻAumakua

ではありません。

ある家族にとって、特定のManōがʻAumakuaとして大切にされることがあった。

ここが重要です。

NOAAの資料でも、サメをʻAumakuaとする家族はサメを傷つけたり食べたりせず、むしろ餌を与えて守り、その代わりにサメが家族を守ると信じられていたことが紹介されています。

→ 関連記事
「ʻAumakuaとは?ハワイの先祖・守護存在と自然のつながり」


ʻAumakuaのサメには名前があった

ここがとても興味深いところです。

ハワイ大学に残る伝統漁業の資料には、ʻAumakuaであるサメについて、

家族がその姿を知り、名前を知り、どこに住んでいるのかまで知っていた

という記録があります。

つまり、

「海のどこかにいるサメの神様」

という漠然としたものではありません。

家族と特定の存在との関係だったのです。

さらに、そのサメを世話する人が餌を与えたり、体についたものを取り除いたりしたという伝承も残されています。

ここまでくると、

「サメを信仰していた」

だけでは少し足りません。

人間がサメを守る。

サメも人間を守る。

互いの関係があった

と考えた方が近そうです。


海で人を助けるManōの伝承

ʻAumakuaとなったManōには、人間を助けるさまざまな伝承があります。

海が荒れたとき。

漁をするとき。

カヌーが帰る方向を見失ったとき。

危険なサメが現れたとき。

家族を助ける存在としてManōが語られることがありました。

だから、

「サメ=人間の敵」

という現代の単純なイメージとはかなり違います。

海で暮らす人にとって、サメは恐ろしい存在にもなり得る。

でも同時に、

海の中で自分たちを助けてくれる存在にもなり得たのです。


すべてのサメを「守り神」と考えていたわけではない

ここはホヌやPueoの記事以上に大切です。

ハワイ文化を紹介する文章では、

サメはハワイの神聖な守り神。

と説明されることがあります。

完全な間違いとは言い切れませんが、かなり単純化されています。

昔のハワイでは、サメを捕って食べることもありました。

ハワイ大学の資料には、シュモクザメやネムリブカなどを漁獲して食べた例や、サメの歯を道具や武器に、皮を太鼓に利用した例が記録されています。

一方で、

ʻAumakuaとして大切にするサメもいた。

恐れられるサメもいた。

つまり、

Manōには複数の顔があった

のです。


恐れられたサメ「Niuhi」

サメにまつわるハワイ語を調べると、

Niuhi(ニウヒ)

という言葉にも出会います。

Niuhiは、人を襲う危険なサメについて使われてきた言葉です。

古いハワイの新聞にも、巨大なNiuhiが捕獲された記録が残されています。

つまり昔のハワイの人たちも、

サメをただ神聖な存在として美化していたわけではありません。

海で生活する以上、

危険な生き物としてのサメも、きちんと知っていた。

尊敬と恐れ。

利用と保護。

その両方がありました。


Kamohoaliʻi——有名なサメの神

ハワイのManōを語るうえで登場するのが、

**Kamohoaliʻi(カモホアリイ)**です。

Kamohoaliʻiは、ハワイに伝わる有名な祖先的なサメの神。

Haumeaの子で、Pele(ペレ)の兄としても知られています。

ハワイ大学の文化資料では、Kamohoaliʻiはサメと人間の両方の姿をとり、PeleとそのʻOhanaをKahikiからHawaiʻiへ導いた存在として紹介されています。

ここでもサメは、

ただ海を泳ぐ怖い生き物ではなく、

人を導く存在

として物語の中に現れます。


KamohoaliʻiとNanaue

Kamohoaliʻiにまつわる物語には、

Nanaue(ナナウエ)

という有名なサメ人間も登場します。

Kamohoaliʻiと人間の女性との間に生まれ、人とサメの両方に関係する存在として語られます。

ただしNanaueの物語は、単純な「守護神のいい話」ではありません。

人間とサメの境界。

禁忌。

恐怖。

自然の力。

そうしたものが入り混じった物語です。

ハワイの神話を知っていくと、

自然はいつも「優しいもの」として描かれているわけではないことに気づきます。

海は人を養う。

でも、人の命を奪うこともある。

Manōも同じです。


Kumulipoでは、人間もサメも自然のつながりの中にいる

ハワイの創世と系譜を伝える**Kumulipo(クムリポ)**では、さまざまな生命が人間より前から生まれ、人間もその大きな系譜の中に位置づけられています。

NOAAは、この世界観について、自然界の生き物とKānaka MaoliがʻOhanaのような関係で結ばれていると説明しています。

そして文化的に重要な存在として、

Honu。

Manō。

ʻIwa。

などがʻAumakuaとなる場合があることも紹介しています。

人間が自然の外側にいて、

「自然を利用する」

だけではない。

人間自身も自然との関係の中にいる。

Manōと人間との関係にも、このハワイ的な世界観を見ることができます。

→ 関連記事
「クムリポとは?ハワイの創世神話が暗闇から始まる理由」


「サメの歯=魔除け・守護」の意味は本当?

ハワイアンアクセサリーでは、

サメの歯(Shark Tooth)

のモチーフもよく見かけます。

「守護」

「強さ」

「魔除け」

などの意味として販売されていることがあります。

実際にサメの歯が伝統的に武器や道具へ利用されていたことは確認できます。

ただし、

「古代ハワイではサメの歯そのものが universally “魔除け”を意味した」

と一言で説明するのは慎重になった方がよいでしょう。

ManōにはʻAumakuaや神話、海での力強さなど、さまざまな文化背景があります。

そこから現代のジュエリーで「守護」「強さ」という象徴が重ねられることと、古代から固定された意味があったことは分けて考えたいところです。


Manōを知ると、ハワイの海の見え方が変わる

サメは怖い。

これは間違いではありません。

野生動物ですから、適切な距離を取る必要があります。

でも、

怖い=悪い

でもありません。

ハワイ文化の中では、

食料。

道具の材料。

危険な存在。

神話の登場者。

ʻAumakua。

海で人を助ける存在。

Manōにはいくつもの側面がありました。

だからこそ、サメという一種類の生き物に、

これほど多くの物語が残ったのかもしれません。


店主より

ホヌの記事を書いたときにも感じましたが、

ハワイの生き物を、

「○○の守り神です」

だけで説明してしまうのは、ちょっともったいないと思うようになりました。

Manōは、もっと面白い。

怖がられた。

捕って食べられた。

歯や皮も使われた。

でも同時に、

家族によっては名前までつけられ、餌をもらい、ʻAumakuaとして大切にされたサメもいた。

怖いから排除するのでもなく、神聖だから触れないのでもない。

人とサメの間に、それぞれ違う関係があった。

私はそこに、ハワイ文化らしさを感じます。

ハワイアン雑貨に描かれたサメやシャークトゥースを見たときも、

「強さの象徴」

だけで終わらず、

その向こうにある海と人との長い関係まで思い出してもらえたら。

そのデザインは、今までとは少し違って見えるかもしれません。

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